東北楽天ゴールデンイーグルスの星野仙一氏は、自身の故郷である岡山のご出身でした。

闘将は、現役引退の後、星野仙一野球教室というイベントを地方の子どもたちのスポーツ振興のため、巡回されていらっしゃいました。当時、私の所属していた豊野FC(スポーツ少年団)は、団の歴史も浅く、チーム内の紅白試合以外、ほとんど試合を経験したことも無いようなチームでした。当然、ユニフォームも無く、みんないわゆるジャージ姿でした。

そんな折に、先の野球教室に参加することになったのでした。たぶん、中日の監督になられる少し前のことだったようです。

野球教室では、ピッチングやバッティング、守備に至るまで、広範に教えられました。ピッチング練習の捕球をしていたキャッチャーの身体にボールが当たり、痛いようなそぶりを見せました。その選手に対し、「野球をやっていて、ボールが当たって痛いなんて言う奴は、出て行け!」と激怒されていらっしゃいました。

そんな中でも、一番印象に残っているのは、「じゃあ、ピッチングを見て欲しい人!」と声を掛けられると、「ハイ!ハイ!」と言って、前に出てくるのは、かっこいいユニフォームを着た選手たちでした。それを恨めしく眺めるとともに、私をはじめ、自分たちのチームメンバーと言えば、(薄汚い)ジャージを着ていることもあり、ジリジリと後ろに下がっていったように記憶しています。

そのような教室での子どもたちの姿を保護者も不憫に思って、そのすぐ後に、ユニフォームが私のチームにも導入されました。

初めてもらったユニフォームは、白地に紺の文字の今思えば、非常に地味なものでしたが、キラキラ輝いていて、すごく嬉しかったのを覚えています。もちろん、それから強くなりました。(近年では、プロ入りしている選手もいるぐらいです。)

今のご時世、子どもがスポーツをすると言えば、練習着もユニフォームも直ぐに与えられます。だから、ユニフォームが無い状態なんていうのは信じられないと思います。その時代、時代で、当たり前が違うと思いますが、恵まれたこの世に生まれたこの子たちにも感じるものが少しでもあればと思います。

 

では、設計事務所の職場の状況はどうでしょうか?
支援先では、CADがあるのは当然のこととして、座り心地の良い椅子も、BIMも、海外の建築を見に行こうと思えばビザなしで簡単に、しかも安く行ける、インターネットで同種・類似物件も簡単に探せて、アポの電話も激安でかけられる。そして、週休2日も、さらにカッコいいオフィスも完備された事務所も増えています。

何かやろうと思えば時間・費用など多くの障害がありましたが、今はほぼないと言っても良いのではないでしょうか。

慣れてしまえば、すべてが当たり前。辛い時期、苦しい時期、を知らないことは幸せとして、先輩たちへ感謝の心を忘れずに目の前の仕事、未来に残す建築に取り組んで欲しいと思います。

そして、星野仙一取締役副会長のご冥福をお祈り申し上げます。