青春と万博
大阪出張の合間に、「安藤忠雄展|青春」へ。
午後からの打ち合わせのために、少し足を伸ばしました。
2017年の「挑戦」展から8年。
あのときは進行中だったプロジェクトが竣工を迎え、
訪れたことのある建築の模型も増えていました。

会場には、建築を知らない人たちも自然に引き込まれていて、
弾む親子の会話。
「連れてこられた感」のある友人を気遣う声掛け、その友人の表情にも、笑顔。
2017年
「膵臓もない、脾臓もない、でも生きとる」と笑った安藤先生は、
2025年
「内臓5つ取ったけど元気やで。お前らも頑張れ!」
と、さらに強くなって帰ってきていらっしゃいました。
打ち放しコンクリート。
引き算の美学。
装飾を削ぎ、命の本質だけを残すような空間。
それはまるで、“内臓を削ぎながら、生きる意味だけを浮かび上がらせる”ような建築。
展示を通して、先生の気迫とパワーをしっかり受け取りました。
その後の打ち合わせは、先生のパワーを味方につけ、良い打合せができました。
ありがとうございました。

「忙しいから展覧会なんて行ってられない」
そんな時代にこそ、こんな言葉を思い出します。
「壊すことを前提につくる。それが今の時代の建築や。」
「残すためじゃない。生き方の提案として、建築するんや。」
2025年の万博は、“平和な時代の象徴”として開かれる。
でも、「いのち輝く未来社会」と言いながら、そこにロシア館はない。
おすすめは、万博前に吹田の太陽の塔に登ること。
かつての米ソのパビリオン配置を思い出しながら、
岡本太郎の“反博”の精神に触れること。
塔はお祭り広場を突き破りながら、正面玄関に正対しつつ、
その顔は、そっぽを向いている。
残るのは、駅や設備のインフラだけではない。
それを創り上げた人々の“想い”は、そこに残る。
そして、、、
青春とは、想いがあり続ける限り、そこにある。
